ハイキューの影山飛雄が、烏野に来た理由はアニメで詳しい描写がなかったので早速、詳しく調べてみました。
どうして高校が青葉城西じゃないのでしょうか?
今回はこちらの記事でわかるのは影山飛雄が、烏野に来た理由は?
高校が青葉城西じゃないのはなぜか?
こちらを解説していきます!
Contents
影山飛雄が烏野に来た理由は?
影山はバレーボール部でセッターで、中学のころから高い技術と才能を持っており、バレーへの情熱がある選手。
中学まで強豪の北川第一のバレー部の中で、コート上の王様(皮肉を込めた意味で)と言われていました。
そんな強豪の北川第一から進学する場合、同じくバレーボールで強豪の青葉西へ行く生徒が多いなか、なぜ影山は烏野を選んだのでしょうか?
その理由は3つあると言われています。
影山飛雄が烏野に来た理由①北川第一のメンバーから孤立したから
コートの王様、自己中トスとも言われ北川第一のバレー部内では孤立していました。
圧倒的に高い身長、身体能力、才能で、スパイカーに高い要求(速さ・高さ)を求めすぎて、どこか傲慢で自己中な影山に合わせるチームメイトはいなくなりました。
そして決定的だったのが中学の決勝戦の試合の中、トスを上げた先に誰もいないってことがおきてしまい、そのままコーチにベンチに下がれと言われました。
そのことは影山にとってトラウマになりました。
そんな中学時代にすっかり孤立した影山飛雄は、北川第二の生徒がほとんど進学する青葉西だと気まずいため、他の学校を選んだのではないかとの理由が考えられます。
影山飛雄が烏野に来た理由②白鳥沢高校に落ちたから
県有数の進学校で特待生も多く、一般で入る場合も難関校です。
ここは、特待生も入ることで有名な学校ですが、普通に受験してこの白鳥沢高校に落ちてしまいます。
相当量の勉強をして、望まないと厳しい白鳥沢高校。
バレーボールに打ち込んでいて、単純に勉強不足であったのか・・・
影山君を見ていると、あれだけ正確にトスをあげたりバレーの情熱もあってとことん打ち込むような性格をしているので勉強も得意で、良い成績も取れそうに見えるのですが、ここは勉強の実力不足のためなのか落ちてしまいます。
白鳥沢高校は私立高校で、特待生もいることから一般ではいるのはとても難しい難関校です。
バレーボール部は、全国大会常連の強豪校で、少なくとも1回は全国制覇を果たしています。
特待生が多く在籍していて、県内に敵う高校がないため、練習試合はいつも県外の高校かOBのいる大学に頼っています。
横断幕の文字には、強者であれと獅子奮迅(ししふんじん)と書いてあります。
ジャージ、ユニフォームは共に紫と白の二色で、リベロは対です。
影山飛雄が烏野に来た理由③烏養監督が戻ってくるから
烏野高校のバレーボール部には、以前全国に導いた烏養一繋監督というおじいちゃんの監督がいました。
5年前までは全国大会にまで出場するほどの采配で名監督として有名でした。
しかし、烏養一繋監督が引退してからはどんどんと負けることが増えていき、強くも弱くもない学校に。
しかし、その監督が戻ってくるという話を聞いた影山は烏野高校へ行くこと決めたと漫画2巻で語っています。
影山飛雄が入った烏野は、5年前までは全国大会にまで出場するほどだったが、当時監督をしていた烏養一繋監督が引退してからは弱体の一途を辿り、現在は良くて県ベスト8、特別強くも弱くもない学校となった。
その結果、落ちた強豪 ”飛べない烏”と他校からよばれるようになった。
ユニフォームは黒をメインにサイドにオレンジで、リベロはそれが逆になります。
烏野を全国へ導いた監督「烏養 一繋(うかい いっけい)」
影山が指導を受けたかった、名監督の烏養 一繋(うかい いっけい)。
新しい戦術を積極的に取り入れるタイプの指導者でした。
当時はその指導を受けるためだけに烏野に入ったという選手もいたほどでした。
69歳で、5年前に監督業は引退したものの一時的に復帰しましたが、直後に倒れて結局孫の烏養繋心(烏養コーチ)が引き受けることに。
烏野のバレーボール部・烏養繋心(烏養コーチ)
名監督の烏養 一繋(うかい いっけい)の孫のあたる烏養 繋心(うかい けいしん)。
OBでもありますが、現役のときは3年間スタメンの控え選手で、試合に出れたのはスタメンが怪我したときだけでした。
そんな新生烏養コーチは実家ある商店街でのチームでバレーボールを続けながら、データー分析や後輩の指導にも優れていてコーチの素質あったようです。
バレーにはとことん熱い、見た目はヤンキーはような外見ですが、現役では控えでしたが、コーチに立ったとき選ぶ苦悩にも直面したり、才能ある影山や日向の存在もあってどんどん指導にも熱が入ります。
影山飛雄・高校が青葉城西じゃないのなぜかを解説!
シンプルに影山なりに「強くなる方法」を考え抜いた結果が烏養監督の下での指導を受けたかったからのようです。
青葉城西高校はバレーで有名な北川第一中学からの入学生が多いので、中学校バレーボール部での孤立もあって、この学校は避けたのでは、気まずいのではと推測する声や憶測の声も多かったですが。
この場面はアニメでは放送されませんでしたので、アニメだけだと推測になってしまいますが、原作の漫画のほうでは、青葉城西の入畑監督と溝口コーチの会話の中で、影山に「声はかけていた」と話すシーンもあります。
なので、影山はそれを断って烏野高校へ行ったということになります。
「青葉城西との試合はやり辛いのではないか」と聞かれたときにも、影山はぽかんとして、「同じチームだったら考えるかもしれないけど…戦うなら ただ全力でやるだけです」と答えました。
影山にとっては、強くなるのは自分の信じる監督の下で指導してもらうことだとシンプルに考えていたようです。
北川第一と青葉城西高校は中高一貫校ではない?
北川第一と青葉西高校が中高一貫校なのでは?
という噂もありましたが、答えとしては中高一貫校ではありませんでした。
北川第一の生徒のほとんどが、青葉西に進学するということがその噂につながったようです。
青葉西高校は、宮城県にある私立高校で、影山の中学時代の先輩でもある及川などが通う高校。
バレーで有名な北川第一中学からの入学生が多く、成績も常に上位にランクインする名門校です。
県ベスト4の強豪校ですが、意外にも全国出場経験はありません。
横断幕の文字は、コートを制すと書いてあります。
まとめ
影山飛雄は、中学生のころから才能ある選手です。
高校の進学先は将来につながる未来に、ほんと重要な選択になりますね!
これだけ県内に強豪な高校があると、出会う監督や仲間によって成長の仕方は変わりますよね。
最後は選んだ場所で、自分との闘い、仲間との闘いのなかで自分の内面やきづかなかったところやコート上の王様と言われていた影山が今度は本当の意味での王様になって成長していく姿に感動します。
結果、烏野を選んでくれてよかった!
影山飛雄が烏野に来た理由は青葉城西を選ばず、白鳥沢高校に落ちたこともあって、
烏野高校を選んで日向と再会したし。
影山飛雄が烏野に来た理由や高校が青葉城西じゃないのなぜかは知っていただけたでしょうか?
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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