光る君へを毎週視聴していて、まひろが現在何歳なのか気になりませんか?
大河ドラマの歴史的背景のなかには登場人物も多く、主人公の生涯を通してストーリーが進みます
毎週みているのに、今何歳だったかわからなくなってしまいます。
平安時代で入内することが度々でてくるので成人がいつなのかも合わせて調べてみました。
1話で数年の月日が流れていたりすることもあるので、何歳なのか確認したくてこちらの記事を書きました。
まひろ(紫式部)についての年表について先に知りたい方はこちらで読めますよ!
Contents
光る君へ・まひろ年齢は今何歳?
現在のまひろは、26歳。
現在第22回まで、放送されています。(2024年6月2日現在)
まひろの年齢と関係の深い道長の年齢も合わせて振り返りました。
第1回 まひろ8歳・道長(三郎)12歳
まひろと三郎(のちの、道長)が初めて出会った年齢は8歳と12歳。
まひろの家は為時は博学なのに官職得られないので、友人の宣孝のすすめで藤原の兼家にのところへ。
まひろは父が弟に読む漢籍を聞いているうちに自然と覚えてしまう
子供の時からすでに、文才の才能を秘めていたんですね。
第2回~5回 まひろ15歳・道長(三郎)19歳
第2回、母を亡くしてから6年たった、まひろは15歳に。
このときまひろは、成人の祝う裳着(もぎ)の儀式を迎えました。
第3話で、三郎改め藤原道長として従五位下・右兵衛権佐(じゅうごいのげうひょうえのごんのすけ)という位を得ました。
第4話では、散楽の直秀(毎熊克哉)という謎の男が登場して、まひろは源倫子(黒木花)和歌の集いに参加するようになり、貴族の前で五節の舞を舞いました。
衣装も華やかに踊るまひろは、
ここで三郎の正体が道長ということ、その兄が道兼だと知ってしまうんだよね。
それはショックだよ><
第6回~第8回 まひろ16歳・道長20歳
第6回では、まひろの元に、道長からの和歌のラブレターが。
「ちはやぶる神のいがきも超えぬべし 恋しき人のみまく欲しさに」(私は越えてはならない神社の垣根も踏み越えてしまいそうです。恋しいあなたにお会いしたくて)
第7回、まひろは道長に返事(返歌)しなかった。
そして打毬の試合にでた道長に源倫子(黒木花)たちが歓声を上げる中、まひろは関心ないようにしていたが道長の活躍に思わずときめいた。
第8回、直秀の腕の傷を知った道長は自分が屋敷に侵入した盗賊に向けて撃ったものと、同じだと認識した。
道兼(玉置玲央)とまひろの父為時(岸谷五郎)に自分が父に可愛がられないといって同情してくれたことで、為時と酒を飲みたいと、道兼(玉置玲央)がまひろの家を訪ねてくた。
そこで、まひろは母の形見のびわで演奏を披露して母のことを聞かれ、病気で亡くなったことにした。
盗賊が東三条殿に入り捕まった一人が直秀(毎熊克哉)だった。
直秀はオリジナルキャラクターだったけど、まひろと家長にとって
影響も与えたんだよね
第9回~第12回 まひろ17歳・道長21歳
第9回、捕まった直秀(毎熊克哉)たち盗賊の罪を軽くしようと道長が奔走したが、無残な姿で見つかる。
藤原兼家(段田安則)は安倍晴明(ユースケサンタマリア)に祈祷の力を借りて倒れたフリを続け花山天皇(本郷奏多)の失脚させる策を考える。
道兼(玉置玲央)は自分でわざとつけたあざで為時(岸谷五郎)に花山天皇(本郷奏多)に耳うちして同情を買い道兼を信用していった。
第10話、986年藤原兼家(段田安則)は道隆(井浦新)たち3兄弟呼び花山天皇(本郷奏多)を出家させる作戦して無事に目的果たす。
まひろには道長からの和歌のラブレターにまひろは漢詩で返し、廃墟でお互いで密会して想いを確認した「一緒に都を出よう」と言われたが「あなたが偉くなって」
花山天皇が退位したことで、藤原兼家(段田安則)が新しい帝の摂政になり蔵人頭は藤原道兼になった。
第11回、退位したことで為時(岸谷五郎)は官職を失う、そのことでまひろは源倫子(黒木華)や兼家(段田安則)に直談判にいったが受け入れられず。
藤原頼忠(橋爪淳)太政大臣、為光が右大臣、源雅信(益岡徹)左大臣に、道隆(井浦新)権大納言、道兼参議へ昇進させた。
新たに東宮には新帝に一条天皇(懐仁親王が即位)わずか7歳の天皇が即位する。
そのころ、まひろと道長は廃墟で密会して、妾になってくれと言われたが受け入れないまひろ。
道長は、勝手ばかり言うなと言い捨てその場を去った。
そのまま道長は左大臣家(益岡徹)に婿入りする話を進めた。
まひろの心はうらはらに道長に言った言葉は本心じゃなかったよね。
第13回~15回 まひろ21歳・道長24歳
第13回、986年政変劇で孫である一条天皇(塩野瑛久)を天皇に即位させ摂政になった藤原兼家(段田安則)は息子たち昇進させて政権の中枢に。
その4年後に藤原定子(高畑充希)が一条天皇(塩野瑛久)に入内したことで道隆(井浦新)の絶頂期に。
第14回、990年兼家は兄弟に出家することを告げて、関白の座を道隆にと伝えるとそれに逆上した道兼(玉置玲央)は務めを放棄した。
源明子(瀧内公美)は兼家(段田安則)の扇子を手に入れ父の無念を晴らすべく呪詛をつづけお腹に道長の子を宿して激しい腹痛に襲われた、翌朝兼家(段田安則)の遺体を道長がみつけ抱きしめた。
流産してしまった源明子(瀧内公美)復讐のために道長に近づいたのに道長の優しさに愛が芽生え始めていた。
道隆が摂政に、17歳の伊周(三浦翔平)が蔵人頭に。
第15回、ききょう(ファーストサマーウィカ)は定子(高畑充希)の女房になり清少納言と名をつけてもらう。
摂政から関白になった道定(井浦新)は、定子と皇子を設けるように言う。
そして道長は定子(高畑充希)のため多額のお金が使われていることを道隆(井浦新)に言うが聞きいれてくれない。
その夜、左大臣を務めた雅信(益岡徹)が74歳で旅立った。
清少納言の名前をもらったききょうは興奮してたね!
第16回~まひろ25歳・道長29歳
追記していきます。
光る君へ・まひろの年齢
8歳から始まった、光る君へも現在は26歳のまひろの様子が描かれています。
光る君へでは、紫式部をまひろとしてお話がスタートしました。
そんなまひろがこれからの年齢に沿った出来事と一緒に紹介していきます。
まひろ(紫式部)の年表一覧
光る君への公式ガイドブックに沿って年表にしてみました。
まひろ(紫式部) | ||
970年 | 0歳 | 本名未詳。 |
996 | 26歳 | 父の赴任で越前へ |
998 | 28歳 | 藤原宣孝と結婚、堅子を産む |
1001 | 31歳 | 宣孝と死別、その後源氏物語を執筆 |
1006 | 36歳 | 道長の娘で一条天皇の中宮の彰子に女房として仕えた |
1014年以降 | 没年(諸説あり) |
光る君へ(平安時代)の成人はいつ?
平安時代の貴族の男子は14,15歳ごろ、女子の場合は、13歳ごろだったようです。
調べてみると、平安時代の子供と大人の違いの一つは、髪型や衣装などの見た目でした。
たしかに、まひろも衣装や髪形に変化がありました。
光る君へ(平安時代)の成人・まひろの場合
まひろは15歳で、成人の祝う裳着(もぎ)の儀式を迎えました。
衣装もいつのと違ったもので、大人の成人の仲間入りしました。
第2回での放送でその様子がわかります。
光る君へ(平安時代)の成人・男子は元服の儀
平安時代の貴族の男子は14,15歳ごろに「元服」の儀を行って大人(成人)となりました。
髪型と衣装を大人のものに改めて頭に冠をかぶりそのことを初冠す(うひかうぶり)と言います。
引用元:https://keisetsu.net/column/images/jap/210113131953_20210113.pdf
光る君へ(平安時代)の成人・女子は裳着(もぎ)の儀
女子の場合は、13歳ごろに裳着(もぎ)の儀を行うことで大人になりました。
裳着の儀では大人の女性の正装である裳を着けて左右に分けて垂らしてある髪(振り分け髪)を結い上げる髪上げを行いました。
そのため女子が成人することを裳着す(裳を着せる)上ぐ(髪を結い上げる)と言います。
引用元:https://keisetsu.net/column/images/jap/210113131953_20210113.pdf
まとめ
光る君へまひろ年齢は今何歳、現在21歳(第14回)
成人は男性14.15歳、女性13歳ということがわかりました。
光る君へまひろ年齢は?今何歳で成人はいつなのかも紹介!
と題してお届けしました。
これからも展開が楽しみですね。
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